今、サッカー日本代表の試合では、ほとんどが海外チームで活躍する選手が選ばれていますよね。
サッカー日本代表の試合は何万人ものサポーターや観客を集める、一大イベントにもなっています。
でも、いつからこんなに日本はサッカーが盛んになったのでしょう?
日本代表を強くするために発足したと言われるサッカープロリーグの「Jリーグ」はいつから始まって、それまでの日本のサッカーはどんな状況だったのでしょう?
今回はそんな日本サッカーの歴史やルーツを辿ってみたいと思います。
サッカーが普及することになった由来とは?
今でこそ小さい男の子の「将来の夢」には、必ず「サッカーのプロ選手」が入るという時代になりましたが、そもそも日本でそれほどサッカーは人気だったのでしょうか?
日本サッカーが大きく飛躍したのは?
少し時代をさかのぼってみましょう。
日本はサッカーの祭典である「ワールドカップ」に初出場したのは1998年でした。
今からちょうど20年前ですね。それまではオリンピックに出場するのが日本サッカーの最大の目標でした。
日本で本格的にサッカーブームが沸き起こったのは、次の2つのオリンピックがキッカケでしょう。
-強豪アルゼンチンを破って見事ベスト8に入った。
■1968年のメキシコオリンピック
-初めてのメダル、銅メダルを日本サッカーが勝ち取った。
その時のスターストライカーである「釜本邦茂」氏はオールドファンなら一度は名前を聞いたことのある有名選手です。
普及という意味では、日本サッカーが大きく飛躍し、大いに子どもたちに夢を与えた一つの時代は間違いなくこの2つのオリンピックの時期だったと言えるでしょう。
サッカーが普及したもう一つの理由
そして、もう1つ、重要な時代(事実)があります。
それは近畿地方の「御影師範学校」がその中心だということです。富国強兵、体育・教練の一環として、師範学校にサッカーが受容、採用されました。
当時の御影師範学校がサッカーでは日本最強でしたが、それに影響を受けて倣うように各地の師範学校がサッカーを取り入れました。
全国的なサッカーの普及はこの師範学校の存在が欠かせないものだったということですね。
日本にサッカーが伝わったのはいつ?
それでは、そもそも日本にサッカーが伝わったのはいつなのでしょう?
諸説がありますので、「これ!」というものを決めるのは難しいのですが、一説には「奈良万葉の蹴鞠」がそもそもその始まりと言えるようです。
次に、日本でサッカーの試合が最初に行われたのは?
これには2つ説があって、
- 1866年に横浜でイギリス軍人と横浜市民が行った試合の説
- 1872年に「神戸外国人居留地」で試合が行われたという説
どちらの試合も、やはり外国人が多い土地で行われたというのは面白いですね。
おそらく外国人がサッカーをやりたくて日本人を相手にしたのが、日本のサッカーの始まりなのでしょう。
Jリーグ発足はいつ?
「日本にもサッカーのプロリーグを」というのは、日本のサッカー関係者の夢でした。
しかし、「プロの技術がないのにプロになってもしょうがない」などの消極的な意見もありなかなか実現できませんでした。
そんな中、初代チェアマンである「川淵三郎」氏の尽力などもあり、1993年に略称「Jリーグ」としてプロサッカーリーグがスタートしました。今から25年ほど前です。
※1993年5月15日Jリーグキング誕生の瞬間!
当時のチーム数は10クラブ。今でもこの初年度の10クラブを称して「スタート10(テン)」と呼んだりします。
ですので、初年度は10クラブが4試合の総当たり戦を行い、ようやく年間36試合程度の試合を組めるようにしていました。
最後に
そんなJリーグも、今ではJ1、J2、J3を合わせて「58」もの沢山のクラブがあります。
そして毎年、各カテゴリーでの降格、昇格が行われています。
「Jリーグ百年構想クラブ」の理念を掲げ、地域密着とスポーツ振興が相互に作用して、様々な土地や町でJリーグのクラブが生まれています。
今や日本で確固たる地位を築いたサッカーというプロスポーツも、その歴史を辿れば多くの時代と、多くの先代の人達の努力と労苦があったのですね。
そんな歴史を知りながら、サッカーの試合やJリーグのニュースを見るとまた違った感覚を覚えるかもしれません。
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